私はアロマンティック・アセクシャルです。
アロマンティック・アセクシャルとは『他者に恋愛感情や性的欲求を抱かない人』のことです。

アロマンティックは恋愛感情がないってことは、恋愛嫌いなの?
私の場合はそんなことはありません!
恋愛は私にとって魔法です!めっちゃ憧れています。
もちろん恋愛が嫌い、気持ち悪いというアロマンティック・アセクシャルの人もいますが、私の場合は恋愛は嫌いではありません。
この記事では、アロマンティック・アセクシャルの私が『恋愛』をどう捉えているかを一例として伝えさせていただきます。
あくまで個人の価値観なので、アロマンティック・アセクシャルの全員が同じ考えというわけではありません。一例としてご理解ください。
恋愛は魔法。人を良いようにも悪いようにも変えてしまう。


アロマンティック・アセクシャルだと自認したときには「そういう人もいるんだ」とほっとするのと同時に「私はみんなが持っている感情を持っていない欠落人間なんだ」と落ちこみました。



恋愛してみたかったな
と思う私にとって、恋愛は魔法です。
友人は恋愛をしてさらに綺麗になって、彼氏の話をするときの照れた顔とはにかむ声は「かわいいなぁ」ってこっちまで幸せになってしまうくらいです。
恋愛には人を変える力があるんだ!と友人に会うたびに感動してしまいます。
逆に恋愛をしたことで良くない方向に進んでいった子もいました。
明るい子だったのですが、恋人ができた途端に嫉妬深くなり、彼氏の女友達を攻撃するようになった子を見たことがあります。
私の周りの人たちは、『恋愛をしているとき』と『恋愛をしていないとき』が全く違います。
恋愛は魔法のように人を変えてしまう。
恋愛感情には憧れを持つと同時に、大きく人を変えてしまう恐ろしいものにも感じられます。
恋愛感情があるだけで『普通の人』になれる





兎本さんは彼氏いるの?
これはセクハラだと常々思っているんですが、20代後半で結婚適齢期の私はこう聞かれることがよくあります。
特に同年代の同僚が結婚報告をしたときなんて、聞かれまくります。
「彼氏いるの?」という質問に「いいえ」と返すと「なんで~!? もったいなーい!」とかなりの確率で言われます。
「恋愛に興味ないんですよ」「彼氏必要ないんです」と言うと、「変わってるね」と言われることもあります。
普通の枠からはずれてるよー!とみんなは反応で教えてくれているのです。
アロマンティック・アセクシャルは人口の1%しかいないと言われています。
普通の枠から外れていて当然なのですが、「普通の枠からはずれてるよ」ということを反応や言葉で伝えられると、責められているような気がしてすごく不快なんです。


「恋人いるの?」なんて質問は結婚適齢期を超えれば、聞かれることも減るのでしょう。
でも今度は「あの歳で結婚していないなんて、あの人はなにか問題がある人なのかもしれない」というレッテルを貼られることはもう予想できている未来です。
「普通の枠からはずれている変な人」と思われるのは、私にとってはとても寂しいことです。
恋愛をして、結婚して、子どもを産む。
この人生のステップを踏むだけで、『普通の人』になれるんです。
普通という枠の中に『恋愛感情』を持っているだけで入れてもらえるんです。



できることなら、さみしがりの私は『普通の人』になりたかった
『恋愛感情』は私にとって『普通の人』という輪の中にはいるためのチケットのように感じられます。
私はそのチケットを持っていないので、いつも輪の外で「恋愛なんてしなくても生きていけるもん」と、いじけているしかないんです。


結論:アロマンティック・アセクシャルだけど恋愛に憧れています。
私はアロマンティック・アセクシャルって寂しいなと思っています。
LGBTの仲間に入れてもらっているけど、恋愛感情がないのはアセクシャルだけ。
私は、いつもどこかで仲間はずれにされている感じがあります。
そんな孤独を『恋愛感情』があれば埋めることができるんだと思うと、私にとってはやはり恋愛感情は魔法です。
魔法に憧れていない人なんてそうそういないでしょう。
だから、私はアロマンティック・アセクシャルだけど、恋愛に憧れています。
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